『はじまりへの旅(原題:CAPTAIN FANTASTIC)』を観て

『はじまりへの旅(原題:CAPTAIN FANTASTIC)』を観て

この映画はよかった。

これは名作だな、と思った、私の中で。そういう感覚は久しぶりだったが、映画を観ているときに、そう思い、これは忘れてはいけない映画だ、などと思った。あまり似ていないが、私の中では『トレインスポッティング』などが浮かんだ、私の中では何か新しい、これまで観たことのない映画だ、などと思えた。

主役の家族がやっていることは、思想的にも、ライフスタイルとしても私にはとても魅力的。

映画としては、展開としては、それほど刺激的ではなく、というのは誰かが殺されたり、感情的になったりして激しくケンカしたり、そういったドラマチックなシーンはさほどなかったように思う。

この人たち、主役のモーテンセンと、義父とが対立するシーンでも、あ、もしかしたら、対立して、極端な行動、それは「逮捕」してしまうとか、「殺し」てしまうとか、そうなっちゃうのかな、と思ったが、そうはならなかった。

実は、そういったところが、私にとっては、よかった。

どうしてよかったんだらう? と思うと、なんていうんだろう、その、人を大事にする姿勢、雰囲気、スタンスかな、そういったものがよかった。

自分の意見で相手を言いくるめるとか、討論するとか、論破するとか、そういうことではなく、自分の意見は意見としてそれぞれあって、それはもちろん大事にしているんだけれども、それを相手に従わせよう、力づくでも、などといったことがなく、そういう人と関係の接し方、付き合い方というのがとてもよかった。

とてもよかった、と言ったが、この良かったというのは、強烈に来るというよりも、ジワジワ来るというか、いぶし銀のよう、というか、そういった奥深さというのかな、味わいがよかった。

この映画を観て、そんなことを思った。そんなことを学んだ。

自分の意見は意見として、それはもちろん人と違っていることが多いと思うけれども、それはそれとして持っていていい。それは人それぞれ、それが個性であるからね。

だけど、自分は完璧じゃない、人は誰でも完璧じゃないから、間違いもおかすし、側から見たらおかしいと思うところも多々あるだろう。

だから、人それぞれ、いろんな意見やいろんな生き方があっていいし、そして、人の意見には耳を傾けた方が自分の人生の幅が広がるし、面白いのでは?と思った。

それに、自分は、私自身は間違いを起こすことが多い。もちろん、わざと間違おう、なんて思ってやることはほぼ無いんだけど、意図せず、図らずも、間違ってしまうことや、間違いをおかしてしまうことはある。

そういったとき、自分はその間違いを認めたく無いし、それに間違いを犯してしまった自分を許せなかったりする。だから、人には「間違ってない!」と主張したくなることがあるし、間違ってしまった自分を情けなくなり、自己嫌悪に陥ることは多い。

だけど、開き直るわけじゃないけど、前提として、「正しいことをしようと行動しても、間違いや失敗は起こりうる」というところから出発するというか、そこを起点とした方がいいのかな、と思う。


だから、私にとって重要なのは、間違った時の対処の仕方、つまり謝り方であったり、そこからの行動であったりする。実際には、そういうときは嫌なことが多いけど、なるべくなら向き合う、対峙することが必要だし、逃げ過ぎない方がいいし、人の意見に耳を傾けることをした方がいい。

そして、人に対しては、間違いを犯したとしても、それはよくあること、と言ってはいけないかもしれないけど、間違いは犯すことはあるから、それを許容していくことは必要なんだと思う。ただ、その人が間違いを認めないとか、誤魔化すとか、そういうことをされると、こちらとしては腹が立つことも多い。ただ、まあ、人って往々にして、そういうものだし、それも間違いといえば間違いといえるし、みんな完璧なんかじゃありえないからね。

こんなこと言ってると、ダラダラになってくるけど、私としては、それでいいのかな、と思う。どこかで、パーソナリティ的には、厳格じゃないし、もちろん厳格なところもあるけど、あまり追い詰めるとか、問い詰めるとか、そういうことは向いてないというか、あまり私ではない、そういうことは、と思う。


森のつぶやきのように 〜弱さの中で生きる〜

新行内(しんぎょううち)。東京・神奈川・千葉で、スクールソーシャルワーカーや心理カウンセラーをしている。メンタルヘルス・ハラスメント相談、SNS相談(チャット相談)、心の病からの職場復帰(リワーク)支援、不登校・ひきこもりの子どもや家庭のサポート、自然森林療法などが専門。関連して講師や原稿執筆も。 千葉県旭市出身

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